僕はてつや。「てつやクリニック」院長にして内科医師でありこの都市に開院してから2年の月日が経過した。
「てつやクリニック」の診察時間は平日の9時〜12時と16時〜21時で土曜日は「往診日」(クリニックは休み)日曜と祭日は休みを頂いていた。僕が言うのも恥ずかしいが大成しておりその理由として@「往診」が好評(往診患者さんの中に難病と闘い在宅療養中の8歳の女の子がおり現在8人が往診患者)A駅前にある「利便性」B雑誌で「良い病院」と評価されまた8人の女性スタッフ(ナースさん等)が好評C診察室だけでなく最新のCT、レントゲンなどの施設の充実の以上4点で「大成」の基盤となっていた。それと自宅とクリニックは同じ建物にあり自宅には家内のうさぎちゃんがいるのである。
うさぎちゃんは24歳。僕が28歳だから4歳年下である。うさぎちゃんは大学卒業直後の3月に交通事故に遭い両足と臀部骨折それと腰の骨にひびが入るという「瀕死の重傷」を負ってしまった。奇跡的に一命をとりとめたものの1年間の闘病生活の末「車椅子」は必要不可欠の可哀相な体になってしまった。僕はうさぎちゃんとは同じ商店街で隣同士の付き合いがありこれは不憫だと思った僕は中華料理店を経営するうさぎちゃんの両親に結婚を前提にしたお付き合いを、と直談判したところ逆に「娘をよろしくお願いします。」と言われ何の障害もなく小さくとも幸せな結婚式をあげることができたのであった。うさぎちゃんは色白で童顔のマシュマロほっぺたがチャームポイントで笑顔は歌手・安倍なつみのように可愛く、また優しい性格で料理も上手と自慢の家内であった。ちなみに僕も童顔で「似た物夫婦」との呼び声もあった(笑)
次にこの都市を紹介しよう。
この都市は人口約4万4千人で北の市境に隣接する100万都市以外は3方を海に囲まれた面積の小さい街だった。全国的に有名になった「デカ盛グルメ」の商店街(ちなみにうさぎちゃんの実家も「デカ盛グルメ」)と私鉄で100万都市の中心街まで1時間という通勤の利便性もあって「観光」と「商業」と「郊外のベットタウン」で何とか市政は黒字を保っていたのであった。
〜10月9日の土曜日〜
今日は慣例の「往診日」で僕は8件の往診患者を訪問し夕方5時に帰宅した。玄関を開け、
「ただいま〜」と返事すると、
うさぎ「お帰り、てっちゃん。」といつもの返事で応えてくれた。
うさぎ「てっちゃん、明日は小学校の運動会だね。」
「うん。うさぎちゃんも行く?」と言ったら大きく頷いてくれた。
そう、明日は10日の「体育の日」で僕が健康診断を担当する小学校の運動会だった。小学校は僕の家からみてすぐ裏に正門があり非常に近かった。僕はその小学校から「来賓兼救護テント責任者」として運動会に呼ばれていたのであった。今日の夕食は野菜たっぷりのちゃんこ鍋とジャンボ餃子だったのでお鍋を運ぶなどの手伝いをして僕とうさぎちゃんでおいしく召し上がった。そして22時と早めに就寝した。
〜そして日曜日、運動会の日〜
今日は最高気温20℃、快晴の絶好の運動会日和となった。
僕は車椅子にうさぎちゃんを乗せ、徒歩で小学校に向かった。衣装は僕が紺色のスーツの上下で白いYシャツと赤いネクタイを身に付けその上に白衣を着るという「医者」スタイル、うさぎちゃんは白い長袖ブラウスに白いロングスカートを身につけ健康的なスタイルとうまくマッチし可愛く見えた。小学校に到着しすぐに向井校長に挨拶を行った。
向井校長「てつやさん、今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそお世話になります。去年の運動会は5人の軽傷者が出ましたけれど・・・」
向井校長「そうですね。大怪我の無きよう無事に運動会を進行させますので。」
と軽く挨拶を終え僕達は救護テントに向かった。
そして向井校長の「開会宣言」と共に運動会が行われた。
この小学校の概要は1年〜6年まで25人クラスがそれぞれ3組ずつありグラウンドは陸上競技場と同じトラックがラバーの中央が芝生の設計でこれとは別に野球場もある最新の校庭であった。また体操着は長袖シャツ+男の子が赤の短パンで女の子が赤いブルマを身につけていていわゆる「昔風の体操着」であった。競技は「50M競争」「玉入れ」「大玉転がし競争」「騎馬戦」「クラス全員100Mリレー」などバラエティーに富んでいて各学年の各クラス別に得点を競い合うルールだった。ただ「組体操」だけは僕がこの都市に来る4年前男子生徒が大怪我を負ってしまい今はその男の子は無事元気だったが保護者の要望もあり「廃止」されていた。それでも個人、クラスとも景品があり各クラスとも張り切って熱戦を繰り広げていたのであった。その競技中の11時30分にある行事が行われた。この行事は20年続く恒例行事でそれは片道2時間かけてやってきた小4〜小6までの男女10人が引率の市教育長と共にを「ソーメン節」という江戸初期(1600年)からその地方の伝統的な踊りを披露してくれたのである。その勇壮な踊りが終わった時僕は見た目では拍手(他の観客からは拍手喝采)で讃えたが心中では疑問が2つあった。1つは服装で10人の小学生は半袖体操着+黒の12分丈スパッツだったことでブルマがまだ全盛期(隣の100万都市は濃い桃色のブルマ=これも珍しいが)なのにスパッツは珍しいと感じた事ともう1つは踊りは真剣で勇壮だったが同時に「悲壮感」が漂っていた事だった。この都市と踊りを披露してくれた都市とは20年前から「姉妹都市」でこの都市の他の小学校でも「ソーメン節」を披露するなど交流が非常に盛んであったが実は2年前その「ソーメン節」の都市は市政が2年前歴史的破綻を起こした。原因は10年前財政を支えてきた金山の閉鎖と「無駄なイベント会場」という公共事業に伴い完成したものの施設は閉鎖し赤字が天文学的数字に陥った事であった。これにより10万人いた人口は1万8千人にまで激減し小学校もこの「交流」に来て頂いた1校にまで落ち込んでいったのであった・・・。僕はその「悲壮感」が「杞憂」に終わってくれれば、と強く感じていたのであった。
お昼休み。僕はうさぎちゃんと共にうさぎちゃんの手作り弁当(からあげなど)をおいしく頂き1時間の休憩が終わり「午後の部」に進んだ。
そして16時。すべての競技が終わり「閉会式」が始まった。得点結果が発表されクラス別優勝は1年と2年が1組、3年と4年と5年が2組、6年が3組に決まった。その瞬間は観客からは拍手が子供達からは歓声が聞こえ素晴らしい運動会になった。また運動会では「ハプニング」がつき物で児童だけでなく先生や保護者まで競技中に転倒し怪我をするケースが多々あるが今年は幸いにして救護テントに運ばれたのは4人でいずれも軽傷だったので関係者一同、大満足の運動会で終わるはずだったが・・・「事件」はこの後起こるのであった。
今の時刻は16時40分。僕とうさぎちゃんは職員室で向井校長と談笑していた。そのころ担任の先生はホームルーム中で校庭には児童の帰りを待つ保護者が大勢いたのであった。僕がトイレを借りて帰る途中図工室から「しくしくしく・・・」と弱々しい泣き声が聞こえたのに気がついた。そしたらちょうどジャージを着た女性教師が猛ダッシュで職員室に向かっていたので僕が声をかけた。その教師は6年3組の担任の先生で名前は日向(ひゅうが)先生であり去年も僕が救護担当責任者だったので美人でもある先生はよく覚えていた。
「日向先生、どうしました!?」
日向先生「てつやさん、実は教え子の牧原智子ちゃんが行方不明なんです。」と応えてくれた。事情はこうだった。16時に教室に戻った時に智子ちゃんが「トイレに行くから」とクラスメイトに告げてトイレに向かったが先生がホームルームを始めた16時30分になっても教室に戻らなかったのでトイレを覗いたら不在だったので驚いた先生が職員室に向かったのである。僕がこう告げた。
「日向先生。失礼ながら今この図工室から女の子の鳴き声がしましたが・・・」そしたら
日向先生「うそ〜!?」と言って耳を澄ませたが確かに泣き声がする。日向先生は智子ちゃんと確信したようで図工室の南京錠の鍵を取りにいった。そして校長先生、うさぎちゃんを始め教師と合わせて8人が駆けつけて校長先生が鍵を開けた。そして扉を開き明かりを点けると・・・
なんとそこには大きいバケツの中に首まで茶色の物体に埋められ頭にはう○ちの形をした物体が乗っかった変わり果てた智子ちゃんがいたのであった。
智子「え〜ん・・・」とまだ泣いていた・・・
僕がこの茶色の物体は?と聞くと日向先生が11月の文化祭で陶芸展示を行うのでそれに使用する陶芸用の泥と説明してくれた。つまり智子ちゃんは泥に埋められ立てていたのである。僕はこう言った。
「まずは頭の上にあるう○ちの形をした物体を撤収しましょう。」そしたら、
日向先生、向井校長「まさか本物では!?そしたら衛生面で心配です・・・」と怖気ついたので僕とうさぎちゃんが臭いを嗅いだ。そして、
「大丈夫です。泥のいい匂いがしますので。」
うさぎ「よくできたう○ちのオブジェですがご安心下さい」と述べたので僕とうさぎちゃんと智子ちゃん以外関係者一同胸をなでおろした。そして僕がこう指示をだした。
「まず校長先生は校内放送で智子ちゃんの母親を呼び出してください。それで母親が来ましたら一緒に僕のクリニックに一緒に向かって下さい。」向井校長が小さく頷いた。
「次に6年1組と6年2組の先生はこのバケツから智子ちゃんを救出して下さい。」2人の男性教諭は頷いてくれた。
「で、日向先生はここに残り智子ちゃんを励ましてください。あと準・担任の先生は6年3組に行きクラスメイトに事情を説明し僕の病院の横にある公園で待機させてください。どうやら智子ちゃんはクラスの人気者で友達も10人程いると日向先生から伺っていますのでお願いします。」準・担任の先生は小さく頷いた。
「それと救出後、担架で智子ちゃんを運びますので残りの先生方、担架の準備をお願いします。」残りの2人は頷いた。
「残りの保健室の先生は僕の補佐をお願いします。」女の先生は小さく頷いてくれた。
そして実行に移った。
日向先生「智子ちゃん自慢のかわいい顔が・・・ああ・・・でも頑張って!」と言った。そう智子ちゃんはまんまるほっぺに茶色の泥がべっとりとついていて可哀相だった。
まずう○ちのオブジェを撤収し2人の先生で陶芸用の泥から智子ちゃんを救出し担架に仰向けに寝かせた。智子ちゃんは長袖体操着+赤いブルマとニーソックス+上履きは茶色の泥んこにまみれ頭も茶色の泥がべっとりとつきかわいい顔もほっぺたが泥んこパックしたように泥んこでその変わり果てた姿はまるで「銅像」みたいで可哀相だった・・・
次に担架で僕のクリニックまで運んだ。その道中や校内放送で保護者達は一時騒然となったが大きな混乱もなく無事に運べた。
そして検査の為に智子ちゃんをお風呂に入れこれで体もきれいになった。その頃智子ちゃんの母親の亜希子さんがクリニックに着替えを持って駆けつけてくれた。で、校長先生から事情を聞いた亜希子さんは診察室でこう言った。
亜希子「先生。ともちゃんは大丈夫でしょうか?」そしたら僕が
「検査の結果ですが特に怪我も無く無事が確認されました。」と言ったら亜希子さんは胸をなで下ろしてくれた。そして着替えの為に亜希子さんが智子ちゃんの待つ部屋に入りそして再び診察室へ来た。智子ちゃんは赤いセーターとデニムのホットパンツ+白いニーソックスで亜希子さんはお揃いの赤いセーターとデニムのオーバーオールという衣装で出てきた。なぜ僕が亜希子さんの家庭を知っていたかというと、それは患者の1人だったからで8月に夏風邪を引き僕のクリニックで診察を受けていて付き添いに智子ちゃんがいたからである。亜希子さんは28歳でなんと16歳で「未婚の母」となっていたという波乱万丈の人生を歩んでいた。でも見た目は柳原可奈子似のぽっちゃりして身重でも丸顔で笑顔の可愛い人だった。また智子ちゃんも母親に似て「大食い」でもスタイルは細く丸顔のほっぺたがチャームポイントの色白で笑顔が可愛いは奇遇にもうさぎちゃんとそっくりだった(笑)
同行していた向井校長と日向先生が話しをしてくれた。
向井校長「おそらく犯人は防犯カメラに映っていますのですぐ割り出せると思います。」
日向先生「一応盗難防止の為に図工室を始めとして各教室に設置していますので。」
うさぎ「それにしても悪質な『いじめ』ですよね〜」
「本当です。何とか犯人が捕まってくれればいいのですが。」
亜希子「話は変わりますがなんでともちゃんはずっと泣いてしまったのでしょうか?」
僕は心理カウンセリングもできるので質問した。
「智子ちゃん。泥んこは嫌い?」
智子「ううん。大好きだよ」と応えてくれた。さらに、
亜希子「私は母子家庭ですがむしろ泥んこになって遊んでくれたほうがいいですね〜」と言ってくれたので僕がこう答えた。
「おそらくですがカーテンも締め切られ『暗闇状態』になったことによる恐怖から号泣したのでしょう。」
そして帰り際に、挨拶をしてくれた。
亜希子「てつやさん、今日はありがとうございました。」
智子「てっちゃん。ありがと〜またね〜」
亜希子「もうともちゃんたら〜クラスで1番の頭の良い子なのにすみません。」
「いいですよ。笑顔のかわいい智子ちゃんが戻ってくれて良かったですね。」
うさぎ「もうてっちゃんたら。女の子に弱いんだから。」と言ったら僕は照れ隠しに頭をかいた。そしたら3人が笑ってくれた。
そして向井校長、日向先生などの教師達は僕に感謝のお辞儀をしてそれぞれ帰路についたのであった。
翌日、防犯カメラの映像により犯人達が見つかった。何と僕の「杞憂」が現実のものとなった・・・その犯人達は「ソーメン節」を披露してくれた10人の小学生と引率の市教育長だった。動機はまず小学生の方は財政破綻した市の影響で遠足や修学旅行は何とか行われたが運動会や文化祭などのイベントは廃止されなにより「全国ソーメン祭り」が廃止に追い込まれ「青春」を理不尽な理由で奪われた「怒り」と「ジェラシー」によって「いじめ」を実行したのであった。また市教育長は来年で定年退職となるが退職金が50万円と異例の安さでもはや「やる気」も失せかつ県に対する「怒り」や「抗議」という意味合いを持っていた。手口はトイレから出た智子ちゃんを弱い睡眠薬を含ませたタオルで口に覆わせ眠らせた隙に智子ちゃんを泥沼に沈め頭にう○ちのオブジェを作りほっぺたに泥をぺたぺたと塗りたくる「いじめ」をわずか10分という実行時間の早さが防犯カメラの映像に残っており南京錠も単純構造なので簡単に開くことを知っていた極めて悪質で計画的な「いじめ」だった。僕の住んでいる市が彼らを刑事、民事両方の裁判にかけ刑事裁判で被告の教育長に罰金10万円の刑が科せられまた子供達も保護観察処分を受けた。民事裁判の方は被告側が見舞い金として50万円を智子ちゃんに支払うことと原告および関係者に正式に謝罪するの2点で和解が成立したのであった。
〜それから約1ヶ月後の11月4日〜
今日は小学校、てつやクリニック共に祝日なのでお休みで小学校は11月5日も3日に「文化祭」があったので振替休日となっていた。
今日は智子ちゃんが見せたいものがあるといって僕の家を亜希子さんと共に遊びに来てくれた。僕は2人を早速4人テーブルに座らせた。衣装は僕が紺のスーツ上下に白のYシャツに白い靴下と赤いスニーカーでうさぎちゃんが白のフリル付ロングスカートタイプの長袖ワンピースと白い靴下と白いスニーカーで亜希子さんが黒のトレーナーにデニムのオーバーオールのホットパンツタイプなので下に12分丈の黒レギンスを履いてあとはレースソックスとヒールで智子ちゃんがライオンズの水色(少し古いかわいいデザインの)長袖ユニフォームと紺のデニムマイクロショートパンツにあとは白のニーソックスと赤いスニーカーで4人ともばっちり決めて僕が言うのも恥ずかしいが4人ともかわいく見えた。(ちなみに僕の家は土足OK)
智子ちゃんが1枚の写真を見せてくれた。僕とうさぎちゃんがその写真を見て驚愕した。
その写真にはカラーで長袖体操着と赤いブルマで茶色の陶芸用の泥にほぼ全身が泥んこにまみれた智子ちゃんが映っていたからであるが1つ違う点があり確かに頭にもマシュマロほっぺたにも泥がたっぷり付いていたが満面の笑みを浮かべていたからである。
「これどうしたの?」と僕が聞いたら智子ちゃんが温かい紅茶を飲みながら話してくれた。
智子「あの後、陶芸用の泥が乾燥しちゃって日向先生が誰か水を足しながら全身泥んこにしてかき混ぜてくれる人をクラスで募集したら5人立候補してくれてその中で投票で決めたらあのいじめの同情からか私が10票集めて私が大役を任されたの。で日向先生が記念に撮影してくれたの〜」と嬉しそうに話してくれた。僕がさらに質問した。
「顔の泥んこパックは誰がやったの?」と言ったら
智子「えへ。それは私自身で茶色の陶芸用泥んこパックはクリーミーで気持ちよかった〜」とほっぺたを赤くしながらも笑顔で答えてくれた。
うさぎ「亜希子さん。この写真を見て怒りませんでしたか?」
亜希子「むしろ褒めましたわ(笑)」さすがは亜希子さん、と感じとれた。
智子「この前のお礼も兼ねてこの恥ずかしい写真1枚は私の家に飾り、もう1枚はてっちゃんにあげる。」
僕はその言葉に「ありがと〜」とお礼を笑顔で言った。そして・・・
「今日の智子ちゃんのかわいい衣装と泥んこ智子ちゃんを選べ、と言われたらどっちもかわいいから選べないな〜」と言ったら、
うさぎ「もう、てっちゃんたら〜」と口では怒られたが自然と笑顔がこぼれていた。
亜希子「今日はてつやさん、うさぎさんありがとうございました〜」
智子「うさぎさん、てっちゃんありがと〜」と挨拶してくれて最後に4人で記念撮影を行った。今も僕とうさぎのベットの横には4人の笑顔の写真と泥んこ笑顔のともちゃんの写真がきれいに飾られていた。そして4人とも幸福に過ごすのであった・・・




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